プロフィール
arachu
arachu
上州アスリートクラブ/ヘッドコーチ
関東学院大学→日清食品グループ→トライアスロン選手
※ニューイヤー(全日本実業団)駅伝出場、
自己ベスト:5000m13分51秒97、10000m28分14秒16、
マラソン2時間15分04秒、07年全日本トライアスロン宮古島大会14位、
アイアンマン・ワールドチャンピオンシップ(ハワイ)3回出場etc
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2011年12月30日

コーチの感じた(観た)ニューイヤー駅伝!②

今度は実際に自身が走ったことを思い出しながら書いてみようと思います。
・1年目の初出場の時(1994年1/1)、チーム:MDI(現:レオパレス21)
4区(10.3km、伊勢崎市役所→新田町市野井、区間7位、6位→5位へ)
学生の時からこの大会に出ることに憧れを持っていたのでやっとこのステージに立てるんだぁ!って思いました。前の3区のランナーが6位で貰い、前とは少し空いていたので少しずつ詰めて行こうと思いながら走っていまいたが、後ろから2チームに追いつかれ、そこからは胸を借りるつもりで食らいついていき、何とか一つ順位を上げて次のランナーにタスキをつなげました。この時「これがタスキリレーなんだぁー!駅伝だぁ!」って感じた時でした。その後、アンカーでの接戦でチームは4位で終えることが出来ました。

・2度目:休部により部員ほぼ日清食品へ移籍(1996年1/1)
1区(12.1km、県庁前→高崎市役所、区間8位)チーム:14位
移籍元年。自身は実業団3年目。少しずつ走力は付き、ここで一人前の選手になるか、タダの選手になるか?との分かれ目の時期でもあって、自己記録も更新しましたし、駅伝でも!という意気込みで行きました。1区はスターターなので最初の順位etcで展開も変わってくるのでとても重要な区間なので、チームによってはエースランナークラスを投入するチームもあるくらいです。やはり、そのとおり、当時のメンバー観ると、エース区間走ってもおかしくないメンバー達で、もちろん胸を借りるつもりで臨み、残り2kmで少し置いて行かれましたが、先頭とは15秒遅れの8位でタスキを渡しました。(その時の区間賞はエスビー食品の平塚潤さんと旭化成の大崎栄さんとの争いで、平塚さんが獲りました。) この大会はアンカーまで「旭化成」と「カネボウ」との接戦でラストでカネボウが優勝しました。

・3度目、4度目
3区(13.7km、1997年、1998年、公田町→伊勢崎市役所、区間10位、17位)チーム:(97年:12位、98年:6位)
この区間は前半の一番重要な区間で「エース区間」の一角とも呼ばれていた区間でした。のでスピード感も味わえる区間でもありました。さすがエース区間!と思わせるくらいみんな勢い良く走られ、自身圧倒されそうになりながらも、懸命に走れたことを思い出します。結果を観れば、やはりもう少し勇気を持って積極的に走れば・・・・・etcと反省したりもしてました。この年も「旭化成」と「エスビー食品」との接戦で「旭化成」が返り咲きの優勝をしました。と同時にこの年あたりから各チーム共に若い選手が出てきたり、世代交代もするような雰囲気も出てきた時期でもあったと思いました。
コーチの感じた(観た)ニューイヤー駅伝!②
(1997年:3区を走った時の写真!)

・5度目
7区(16.4km、1999年、伊勢崎市役所→群馬県庁、区間3位)チーム:9位
ちょうどトラック中心からマラソンへの挑戦!の時期。当時チームの中で一番調子が良く、自身初の駅伝の「アンカー」を任されることになりました。もちろん、後半の強い向かい風に向かって走ることも初経験で、前回の大会のビデオを観ながらイメージして走りもしました。11位くらいでタスキをもらい、前とはだいぶ空いていたので本来なら後ろについて後半で勝負する予定でしたが、ここはあえて、自身の調子を信じて、積極的に前を追いながら走り、ゴール直前でやっと追いついたと思ってそのまま9位でゴールしました。8位入賞までもう少しだったので残念でしたが、その後自身初マラソンで完走し、トラックでも自己記録更新したりと繋がったのではと思いました。
コーチの感じた(観た)ニューイヤー駅伝!②
(1999年のアンカーのゴール前の写真!)

・6度目
6区(18.0km、太田市役所→伊勢崎市役所、区間15位?)チーム:12位
当時の一番長い区間で、「真のエース区間」と呼ばれてた区間でした。監督も替わり、若手も入りましたので、ここから!!と思ったら主力2人の故障で、私自身も「やらなきゃ」という力みが逆に「空回り」という走りになってしまい、自身苦しいレースをしてしまい、悔いの残る走りをしてしまいました。
この年で「旭化成」の連覇が途切れ、何と「富士通」が初優勝!した年でもありました。以降2001年以降は「コニカミノルタ」etcを中心に「激戦」駅伝に突入するようになってきました。2010年には「日清食品グループ」も念願の「初優勝」を飾りました。
コーチの感じた(観た)ニューイヤー駅伝!②
(2000年の6区の苦しい走り!)

結局2001年にコースが変更して以来、故障で出場できず,2003年の大会後に引退をしました。

まだ書けそうな気もしますが、このへんで終わらせようと思います。
それでは選手のみなさま、頑張ってください!
応援される方、我が古巣(日清食品グループ)の応援もよろしくお願いします。



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